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蔵のまち喜多方

​今「おたづき」が元気です

 喜多方といえば「ラーメン」ですが、ラーメンが有名になったきっかけが「蔵のまち」観光でした。蔵を見に来た人が昼にラーメンを食べ、おいしさが広まったのです。地元の人は「蔵とラーメンのまち」と言います。

 その「蔵のまち」の最近の話題は「小田付(おたづき)」の元気な動きです。若い人による新規開店やイベントも増え、街に活気がよみがえっているのです。

 例えば1月17日に開かれた初市です。アートあり飲食ありの「小さな六斎市」も開催され大いに賑わいました。六斎市は天正十年(1582年)頃に毎月6回開かれた定期市で、小田付村の起源です。その六斎市を名乗るイベントが地域おこし協力隊の田村幸絵さん(現在は協力隊を卒業し小田付に定住)を中心に昨年スタート、今年はさらに盛り上がっていました。

 喜多方の中心街は南北に流れる田付川を挟んで西が小荒井、東が小田付です。江戸時代以前からの村名で、初市も夏祭りも独自に行われています。しかし、戦後から今に至る大イベント(会津磐梯山庄助踊りやレトロ横丁など)は商店が多く賑やかな小荒井が舞台で、一方の小田付は夢心、小原酒造、金忠など醸造家の蔵を中心とした落ち着いた街という存在でした。

 とはいえ、小田付は静かな蔵の街であるゆえに町並み保存の動きが盛んでした。会津北方小田付郷町衆会(2003年結成)が率先して運動を進め、2018年には文化庁により重要伝統的建造物群(重伝建)保存地区に選定されたのです。<江戸末期までに発展した地割が良く残り、多様な土蔵が建ち並ぶ町並み>が特徴。

約15・5㌶内に伝統的建築が191件。建物修理などに補助金が出て、5年間で19件実施されました。「おたづき蔵通り」の無電柱化や街路灯、建物への標識設置も並行しています。

 「重伝建が5年経ち、町並み整備はずいぶん進んでいます」。運動の中心的存在である星宏一さんは言います。星さんは明治初期の土蔵を改装した和飲蔵・星酒店の店主(現在、会津喜多方商工会議所副会頭)で、2018年に廃業した味噌醸造の井上合名(金忠)の土蔵や土地を有志とともに取得し「新金忠」の事業を展開中です。

 重伝建保存地区は県内では下郷町の大内宿(1981年)、南会津町の前沢(2011年)に次いで3件目。全国では川越、倉敷など127件あります(昨年12月現在)。観光物産協会会長の樟山敬一さんは「大内宿も以前はトタン屋根が目立ちましたが、長年かけて茅葺きに整いました。小田付もいい効果がでるはず」と期待しています。

 一方の小荒井では甲斐本家(店蔵、座敷蔵など)を市が取得し改修工事中です。環境整備が進む小田付と合わせ、「蔵のまち」はさらに発展していくでしょう。 

(東京福島県人会会報第33集、2024年3月発行に掲載)

                              会津喜多方会会長

                               喜多方応援大使 冠木雅夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月17日の「小さな六斎市」会場の一つ。来場者に餅やお酒をふるまった(田村幸絵さん提供)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の「おたづき蔵通り」。左手前から遠藤家座敷蔵、小原酒造、大森家、右手前から小原酒造旧店舗、同座敷蔵(喜多方市都市整備課提供)

© 2019 会津喜多方会

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